東日本大震災 東北ユースオーケストラ2019 盛岡公演に行ってきました。
2011年3月11日の東日本大震災から8年という時間が経過しました。
被災地、岩手県、宮城県、福島県の小学4年生から大学4年生までで結成された
坂本龍一監督の東北ユースオーケストラの公演も、今年で第4回目を迎えました。
東北ユースオーケストラは、被災地の若者達の力で、震災の記憶を風化させず、
復興途上の姿を伝えていくことを目的として結成された学生オーケストラです。
東北ユースオーケストラの盛岡公演開催決定
今年、東北ユースオーケストラの盛岡公演が開催されることを知り、私は
コンサートに行ってみようと思いました。なおチケット代は東日本大震災の
被災地公演ということで、安めに設定されていました。
坂本龍一さんの曲も、坂本龍一さんのピアノ演奏も聴けるということで、
そういう機会もなかなかないだろうと思ったのも、チケットを購入してみようと
考えたきっかけの1つです。
私はチケット販売の日、発売の時間に合わせてすぐにチケットを購入しに
コンビニに行くことが出来ました。
すると一緒に行く予定の友人の分と2枚、1列目の席がとれました。
それにはちょっと驚きました。
東日本大震災 東北ユースオーケストラ 2019 盛岡公演の日、当日。
そして「東日本大震災 東北ユースオーケストラ 2019 盛岡公演」は3月30日、
開催されました。
コンサート会場は当日券を求める人の列が早くから出来ていました。
私の席は1列目の正面から見て、左側に近い席でした。
はじめに地元団員の挨拶。
そして東北ユースオーケストラ、坂本龍一監督—入場は私の席から近い
左手からでした。
坂本龍一監督の「Blu」繊細な旋律のピアノ演奏からコンサートはスタート。
「Still Life」へと続き—。
そうです。私と友人の席は、ちょうど出演者の出入り口付近、そして出演者が
立つのもほぼ目の前で—本当に良い席でした。こんなことはもうないでしょう。
坂本龍一監督の表情もよく見えます。
ピアノも近い!見えるのはピアノを弾くその後姿になりますが、本当に近い。
とても素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。
一番前の席なのにも関わらず、音もとても良くて、オーケストラの音楽を堪能する
ことが出来ました。
その後女優、創作あーちすと、のんさんによる宮沢賢治、石川啄木などの詩の
朗読に続きました。のんさんの、透き通った声に、東北ユースオーケストラの
演奏が加わり—詩の言葉の力—を感じました。とても心洗われるような時間が
流れていきました。
のんさんは「あまちゃん」で知られる岩手にゆかりのある女優さんで、
「かわいい!」という声も客席から飛んでいました。
それから宮城県仙台市出身の作曲家、仁科彩さんのオリジナル曲「くぐいの空」の
東北ユースオーケストラによる演奏。
仁科さんは10年程ニューヨークで活動され、現在は仙台市在住の女性作曲家。
坂本龍一さんに憧れて作曲家を目指した—とお話されてました。
「大漁唄い込み」「南部よしゃれ」「相馬盆唄」東北3県の民謡を、藤倉大さん作曲、
編曲の演奏も。
また団員が作曲した曲も披露されました。
学生によるオーケストラ—といいますが、音楽に対する真摯な姿、真剣に取り組む様子は
観客に大きな感動を与えていました。第4回ということで、より高い音楽性を追求している
いうことで、聴き応えのある演奏でした。
坂本龍一監督、バルカン室内管弦楽団監督やコソボフィル首席指揮者の柳澤寿男指揮者の
厳しい指導の元、若者達がその才能を開花させ、感動を与える音楽を届けることが出来る
ようになっていったのでしょう。
本当にその演奏の素晴らしさに驚きました。
休憩時間を挟んで、第2部は、ブラームス作曲「交響曲第2番」です。
ブラームスは北海に面するドイツ北部のハンブルク出身。この大作に挑む学生達。
より音楽性を高めようとする団員達の大作、交響曲は、心に響きます。
拍手が鳴り止みません。
そしてアンコール。再びピアノが運ばれてきて、坂本龍一監督の「戦場のメリークリスマス」を
聴くことが出来て、感動しました!
アンコール2曲目は「ETUDE」手拍子で客席と一体となったフィナーレ!
団員達の拍手代りの足踏みの音も響きます。
この足踏みの音いいですね。
「東北ユースオーケストラ」のコンサートは本当に貴重な時間—
私は初めて「東北ユースオーケストラ」のコンサート行きました。学生なのに想像していた以上に
レベルが高く、素晴らしい演奏でした。
クラシックのコンサートも本当に久しぶりでした。
坂本龍一監督は、「岩手はクラシックはだめかも」と言われてたと話してましたが、そんなことは
ありません。そう思ってもらえたでしょうか?
クラシックもいいナ—と思いました。
坂本龍一のピアノをあんな至近距離で聴けて、そのお話も近くで聞くことが出来た—もう2度と、
こんなことはないでしょう。
本当に貴重な時間でした。